アストゥリアス王国
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- アストゥリアス王国
- Reinu d'Asturies/Asturorum Regnum
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718年 - 925年
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国章 - 国の標語 : Hoc Signo Tuetur Pius, Hoc Signo Vincitur Inimicus
公用語 アストゥリアス語、ラテン語 首都 カンガス・デ・オニス、ラングレオ、プラビア、オビエド
アストゥリアス王国(アストゥリアス語:Reinu d'Asturies, スペイン語:Reino de Asturias, ラテン語:Asturorum Regnum)は、イベリア半島にかつて存在した王国。
8世紀初頭、イベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年頃にコバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
アルフォンソ2世の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブを守護聖人とするサンティアゴ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスにかわりオビエドを支配の拠点とした。このころより、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへと遷された。これ以降の王国はレオン王国と称される。
[編集] 参考文献
- 立石博高編 『新版世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』 山川出版社、2000年
[編集] 関連項目






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