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ポルトガル

1/38

出典: フリー百科事典『)』

ポルトガル共和国
República Portuguesa
ポルトガルの国旗ポルトガルの国章
国旗国章
国の標語 : なし
国歌 : ポルトガルの歌
ポルトガルの位置
公用語ポルトガル語ミランダ語
首都リスボン
最大の都市リスボン
政府
大統領アニバル・カヴァコ・シルヴァ
首相ジョゼ・ソクラテス
面積
総計92,391km²109位
水面積率0.5%
人口
総計(2008年10,707,000人(75位
人口密度114人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年1,661億[1]ユーロ(EUR, €)
ポルトガルのユーロ硬貨
GDPMER
合計(2008年2,444億[1]ドル(33位
GDPPPP
合計(2008年2,359億[1]ドル(40位
1人当り22,189[1]ドル
独立
 - 宣言
 
 - 承認
レオン王国から
1128年独立
1139年王国になる
1143年レオン王国国王が承認
1179年ローマ教皇が承認
通貨ユーロ(EUR, €)
ポルトガルのユーロ硬貨EUR
時間帯UTC 0(DST: +1)
ccTLDPT
国際電話番号351
註1: 1999年以前はエスクードが流通
註2: アソーレス諸島はUTC -1(夏時間はUTC)

ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく)、通称ポルトガルは、西ヨーロッパイベリア半島に位置する共和制国家である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島マデイラ諸島を領有している。首都はリスボン

ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家であり、かつてはヨーロッパ主導の大航海時代の先駆者ともなった。そのためヨーロッパで最初に日本中国など東アジアとの接触を持った国家でもある。

目次

[編集] 国名

正式名称はポルトガル語で、República Portuguesa(レプーブリカ・ポルトゥゲザ)。

公式の英語表記は、Portuguese Republic(ポーチャギーズ リパブリク)。通称、Portugal(ポーチャグル)。

日本語の表記は、ポルトガル共和国。通称ポルトガル。漢字では葡萄牙と表記され、 と略される。

国名の由来は、ポルトの古い呼び名であるポルトゥス・カレの訛りに由来するとされている。

[編集] 歴史

詳細は「ポルトガルの歴史」を参照

以降黒人奴隷貿易によってアフリカから多くの人々がブラジルに連行され、ポルトガルに富をもたらすと同時にブラジルの従属と低開発が決定づけられる。
ポルトガルにもたらされた富はイギリスやオランダなどヨーロッパの先進国に流出し、イスパノアメリカの金銀と共に資本の本源的蓄積過程の原初を担う[2]
アンゴラに展開するポルトガル軍。脱植民地化時代にもポルトガルはアフリカの植民地維持のために戦争を続け、植民地とポルトガル双方に大きな傷跡を残す激しいゲリラ戦争が繰り広げられた。

[編集] 政治

詳細は「ポルトガルの政治」を参照

大統領元首とする立憲共和制国家であり、20世紀においては戦前からの独裁制が長く続いたが、1974年4月25日カーネーション革命(無血革命)により、48年間の独裁体制が崩壊。 一時は主要産業の国有化など左傾化したものの、1976年4月2日に新憲法が発布された。同年4月25日に自由な選挙が行われた。社会党、人民民主党(10月、社会民主党に改称)、民主社会中央党が躍進した。1976年のソアレス政権成立から1986年のEC加盟までの10年間は、急進路線による経済のひずみを是正するための期間であった。 憲法の制定により民主主義が定着し、さらに1979年の保守中道政権樹立以降、行き過ぎた社会主義を修正している。さらに、1983年に社会党社会民主党の連立政権樹立以降、両党を中心とする二大政党制となっている。社会党のソアレスは、1986年2月の大統領選挙でからくも勝利し、1991年1月に大差で再選された。他方、1987年と1991年10月の総選挙ではカヴァーコ・シルヴァ率いる社会民主党が過半数を制して圧勝し、ともに中道ながら左派の大統領と右派の首相が並び立つことになった。1989年6月には憲法が全面的に改正され、社会主義の理念の条項の多くが削除された。1995年10月、10年ぶりに社会党が第1党に返り咲き、翌1996年1月、社会党のジョルジェ・サンパイオが大統領に選出された。

[編集] 統治機構

政府は直接普通選挙で選出される任期5年の大統領(一回に限り再選が認められている)、議会の勢力状況を考慮して大統領が任命する首相が率いる行政府、任期4年の230人の議員で構成された一院制議会からなる立法府、及び国家最高裁判所を頂点とする司法府により構成されている。

大統領は首相の任命・解任、法律・条約への署名・拒否、議会の解散・総選挙の決定、軍最高司令官、非常事態宣言の発出等の権限を有するが、多分に名誉職的な性格が強く、ほとんどの行政権限は議会で多数得た政党から選ばれる首相が掌握している。

[編集] 最近の政治状況

[編集] 国際関係

NATOOECDEFTAの原加盟国であり、1986年にはECに加盟した。現在はEU加盟国である。また、伝統的にイギリスとの関係が深く、現在も1373年に締結された英葡永久同盟条約が効力を保っている。また、EU以外ではブラジルアンゴラなど旧植民地諸国と関係が深く、1996年にはポルトガル語諸国共同体を加盟国と共同で設立した。東ティモールの独立後は同国にさまざまな援助(特にポルトガル語教師の派遣)を行っている。

2004年時点でポルトガルは国内外で国際武力紛争を抱えていないが、1801年以来隣国であるスペインが実効支配しているオリベンサの領有権を主張している為、同国と対立している。

[編集] 地方行政区分

詳細はポルトガルの地域区分を参照

ポルトガルには、現在308都市4,261地区が存在する。その地域区分は、共和国憲法で定められているものと、欧州連合によるものが採用されている。

[編集] 主要都市

2000年時点の都市人口率は53%と、ヨーロッパ諸国としては例外的に低いため、大都市が少ない。多くのヨーロッパ諸国の都市人口率は70%~90%(例えば、イギリス89%、スペイン76%)である。ヨーロッパにおいて、ポルトガル以外に都市人口率が低いのは、アルバニアセルビアスロベニアなどのバルカン諸国である。

都市人口都市人口
1リスボン564,65711ケルス78,040
2ポルト263,13112アヴェイロ55,291
3ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア178,25513ギマランイス52,181
4アマドーラ175,87214オディヴェラス50,846
5ブラガ109,46015リオ・ティント47,695
6アルマーダ101,50016ヴィゼウ47,250
7コインブラ101,06917ポンタ・デルガダ46,102
8フンシャル100,52618マトジーニョス45,703
9セトゥーバル89,30319アモーラ44,515
10アグアルヴァ=カセーン81,84520レイリア42,745
2004年調査


[編集] 地理

詳細は「ポルトガルの地理」を参照

ポルトガルの地図


アイスランドに次いで、ヨーロッパ諸国の中で最も西に位置する。イベリア半島西端に位置し、国土は南北に長い長方形をしている。本土以外に、大西洋上のアソーレス諸島マデイラ諸島も領土に含まれる。いずれも火山島である。アソーレス諸島は7つの主要な島からなり、首都リスボンからほぼ真西に1,500km離れている。マデイラ諸島は4つの主要な島からなり、南西に900km離れている。

ポルトガルの最高峰は、アソーレス諸島のピコ島にそびえるピコ火山 (Montanha do Pico) 。標高は2,351m。富士山などと同じ成層火山である。本土の最高地点は北部に位置するエストレーラ山脈中の標高1,991m。エストレーラとは星を意味する。

東部は山岳であり、西部に海岸平野が広がっている。ほとんどの山脈が北東から南西に向かって走っており、北部ほど海岸平野が少ない。主要河川であるテージョ川が国のほぼ中央部を東西に流れており、テージョ川を境として南北に山脈の景観が変わる。首都リスボンはテージョ川に河口部分で面し、最大の海岸平野の端に位置している。南部に向かうにつれて山脈はなだらかになり、丘陵と見分けがつかなくなっていく。ポルトには同国第二の河川であるドウロ川が流れている。このような地形であるため、規模の大きな湖沼は存在しない。全水面積を合計しても440km2にとどまる。また、沿岸部にはポルトガル海流が南西に流れている。

[編集] 気候

本土は北大西洋に面しているものの、ケッペンの気候区分では、地中海性気候 (Cs) に属する。地域差は大きく、季節の変化も著しい。大西洋岸には寒流のカナリア海流が北から南に流れており、緯度のわりに気温は低く寒暖の差が小さい。夏は涼しく、冬は降雪を含み、雨が多い。年間降水量は1,200から1,500mmである。中部の冬期は北部と似ているが、夏期の気温が上がる。年間降水量は500から700mmである。南部は典型的な地中海性気候である。そのため、夏季の雨量が少なく年間降水量は500mmを下回る。ほとんどの地域で、夏季の気温は20度を超え、冬季は10度まで下がる。

首都リスボン(北緯38度46分)の気候は、年平均気温が21℃、1月の平均気温が11.2℃、7月は22.8℃。年降水量は706mmである。冬季の雨量は100mm程度だが、夏季は数mmにとどまる。

[編集] 経済

詳細は「ポルトガルの経済」を参照

ポルトガルのコルク

1975年に植民地を一度に失ったため、石油を中心とする原料の安価な調達ができなくなり、大量の入植者が本国に引き上げたことも重なって、経済は大混乱に陥った。

1986年のヨーロッパ共同体 (EC) 加盟以来、ポルトガル政府は金融・情報通信の分野を中心に国営企業の民営化を進め、経済構造はサービス産業型に転換しつつある。1999年1月にユーロ導入。2002年1月1日からEU共通通貨ユーロが流通している。2000年以降、GDP成長率が1%を割り始めた。一人当たり国民所得は加盟国平均の70%程度に止まる。

主要産業は農業、水産業、食品・繊維工業、観光。地中海性気候を生かし、オリーブ小麦ワインコルクの生産が盛ん。オリーブ油の生産高は世界7位。ワインの生産は第10位。第一次産業人口比率は12.6%。土地利用率は、農地 (31%) と牧場 (10.8%)。森林 (36%) も多い。また、エネルギー分野では代替エネルギーに力を入れている。電力消費の約40%は代替エネルギーでまかなわれており(2007年時点)、政府は2010年までに代替エネルギー比率を45%にする目標を掲げている[3]。また、波力発電のトップランナーを目指し研究を重ねている[3]

鉱業資源には恵まれていないが、などを産する。特筆すべきは世界第5位のタングステン鉱であり、2002年時点で700トンを産出した。主な鉱山はパナスケイラ鉱山。食品工業、繊維工業などが盛んである。

2002年時点では輸出255億ドルに対し、輸入は383億ドルと貿易赤字が続いており、出稼ぎによる外貨獲得に頼っている。貿易形態は、自動車、機械などの加工貿易。主な輸出品目は、自動車 (16%)、電気機械 (12%)、衣類 (11%)。主な相手国は、スペイン(21%)、ドイツ(18%)、フランス(13%)。主な輸入品目は、自動車 (13%)、機械 (10%)、原油 (5%)。主な相手国は、スペイン(29%)、ドイツ(15%)、フランス(10%)。

2002年時点では、日本への輸出が1.7億ドル。主な品目は衣類(15%)、コンピュータ部品(15%)、コルク(11%)。日本が輸入するコルクの2/3はポルトガル産である。タングステンの輸入元としてはロシアについで2位。輸入が6.5億ドル。主な品目は乗用車 (20%)、トラック (10%)、自動車部品 (8%)である。

[編集] 交通

[編集] 道路

国内交通の中心は道路であり、リスボンとポルトを中心とした高速道路網が整備されている。原則として有料である(一部無料)。
主な高速道路は以下のとおり。

  • A1 リスボン - ポルト
  • A2 アルマダ - アルガルヴェ地方 リスボン市へはテージョ川を4月25日橋で渡る。
  • A3 ポルト - スペイン・ガリシア地方国境方面
  • A4 ポルト - アマランテ
  • A5 リスボン - カスカイス
  • A6 マラテカ - スペイン・バダホス方面国境 国境にてマドリッド方面のA-5に接続。

[編集] 鉄道

[編集] 航空機

リスボン、ポルト、ファロが主な国際空港。またこれらの空港から、マデイラ諸島やアソーレス諸島などの離島への路線も出ている。

[編集] 軍事

詳細は「ポルトガル軍」を参照

ポルトガルの軍隊は、正式にはポルトガル国軍(Forças Armadas Portuguesas、FAP)と呼ばれる。2005年時点で、ポルトガル陸軍22,400人、ポルトガル海軍14,104人、ポルトガル空軍8,900人。他に国家憲兵としてポルトガル共和国国家警備隊(Guarda Nacional Republicana、GNR)6個旅団(儀仗任務、地方警察、交通警察、税関を担当)を擁している。

2004年11月に徴兵制が廃止され、志願兵制度が導入された。

[編集] 国民

詳細は「ポルトガルの国民」を参照

ポルトガル語圏諸国を表す地図

ポルトガルの国民の大部分はポルトガル人である。ポルトガル人は先住民であったイベリア人に、ケルト人ラテン人ゲルマン人西ゴート族スエビ族ブーリ族)、ユダヤ人ムーア人(大多数はベルベル人で一部はアラブ人)が混血した民族である。

かつてポルトガルは移民送出国であり、特にサンパウロ州でのコーヒー栽培のために、奴隷に代わる労働力を欲していたブラジルには1881年から1931年までの期間にかけて実に185万人が移住した。ブラジル以外にもベネスエラアルゼンチンウルグアイなどのラテンアメリカ諸国に多数のポルトガル人が移住した。また、アンゴラやモサンビークなど、アフリカのポルトガル植民地にも多くのポルトガル人が移住した。1960年代から1970年代にかけてはフランススイスルクセンブルクなど、西ヨーロッパ先進諸国への移民が増えた。

しかし、1973年のオイル・ショックによる先進国での不況や、カーネーション革命による植民地の放棄により多くのポルトガル人が本国に帰国し、代わりにカナダアメリカ合衆国への移住が行われるようになった。

このように移民送出国だったポルトガルも、近年ではブラジルをはじめ、ウクライナルーマニアカーボ・ヴェルデアンゴラロシアギニア・ビサウなど、旧植民地や東ヨーロッパからの移民が流入している。

[編集] 言語

言語はインド・ヨーロッパ語族ロマンス語系ポルトガル語イベリアポルトガル語[4]公用語である。

1999年ブラガンサ県ミランダ・ド・ドウロで話されているミランダ語が同地域の公用語として認められた。

また、ポルトガルの北に位置するスペインのガリシア地方の言語ガリシア語はポルトガル語とは非常に近く、特にドウロ川以北のポルトガル語とは音韻的にも共通点が多い。

[編集] 宗教

宗教はローマ・カトリックが国民の97%を占める。ファティママリア出現の地として世界的に有名な巡礼地となった。

[編集] 教育

詳細は「ポルトガルの教育」を参照

6歳から15歳までが基礎教育(義務教育)期間であり、6歳から10歳までが初等学校(初等教育。基礎教育第一期)、10歳から11歳まで(基礎教育第二期)、12歳から15歳(基礎教育第三期)までが二期に分けられる準備学校(前期中等教育)となっている。前期中等教育を終えると15歳から18歳までが中等学校(後期中等教育。日本における高等学校に相当)であり、後期中等教育は普通コース、技術・職業教育コース、職業教育コース、芸術教育専門コースなどにコースが分かれ、中等学校を終えると高等教育への道が開ける。ポルトガルの初等教育から中等教育にかけての問題としては、留年率の高さなどが挙げられる。

主な高等教育機関としてはコインブラ大学(1290年)、ポルト大学(1911年)、リスボン大学(1911年)、リスボン工科大学(1930年)、ポルトガル・カトリカ大学(1966年)などが挙げられる。大学は1974年のカーネーション革命以降急速に新設が進み、それに伴い学生数も増加した。

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は93.3%(男性95.5%、女性91.3%)であり[5]、ヨーロッパ諸国の中ではマルタに次いでセルビア・モンテネグロと並ぶ低さだった。なお、第一次世界大戦直前の識字率は約25%だった。

[編集] 文化

詳細は「ポルトガルの文化」を参照

ポルトガルのフェジョアーダ
ノーベル文学賞作家ジョゼ・サラマーゴ

ポルトガルの文化は、イベリア半島にかつて居住していたケルト人ローマ人イスラム教徒等の影響を受けながら、カトリックを基盤にポルトガル人によって育まれてきた。政治や経済においてポルトガルはイギリスの強い影響を受けて来たが、文化面ではイギリスの文化の影響よりもフランスの文化の影響が強い。隣国スペインと同様に闘牛の文化もある。なお、ポルトガルの文化とブラジルの文化を象徴する言葉に郷愁を表す「サウダーデ」(Saudade)という言葉がある。

[編集] 食文化

詳細は「ポルトガル料理」を参照

ポルトガル料理は魚介類を使うことが多く、鮟鱇などの多様な魚の中でも、特に干鱈(バカリャウ)がよく用いられる。穀物としては小麦トウモロコシライ麦が用いられ、米はヨーロッパで最多の消費量である。他には豚肉が使われる。主な料理として、フェジョアーダブラジルのものとは異なる)、石のスープガスパチョパステル・デ・ナタアルフェニンなどが挙げられる。

ポルトガルワインポルトワインマデイラワインヴィーニョ・ヴェルデ、ダンワイン)は古くから高い品質を保っている。

[編集] 音楽

詳細は「ポルトガル音楽」を参照

ポルトガルの音楽は、宮廷吟遊詩人や、カトリック教会の音楽の影響を受けて育まれて来た。 民族音楽としては、特にファド(Fado)が挙げられ、このファドを世界中で有名にしたアマリア・ロドリゲス(1920~1999)は今でも国内外で広く愛されているが、近年ではドゥルス・ポンテスマリーザなど、若手の台頭も著しい。ファドにはリスボン・ファドとコインブラ・ファドがある。カーネーション革命の際には1960年代に活躍したポルトガル・フォーク歌手ジョゼ・アフォンソの反戦歌『グランドラ・ビラ・モレーナ』が用いられた。なお、日本でもCM曲として使われたことで有名になったマドレデウスの音楽はファドとは呼び難いが(アコーディオンは通常ファドでは使われない)、彼らの音楽も非常にポルトガル的であることは間違いない。

[編集] 文学

詳細は「ポルトガル文学」を参照

ポルトガル文学は12世紀末のガリシア・ポルトガル語で吟遊詩人によって詠われた中世叙事詩にはじまる。

16世紀に活躍し、『ウズ・ルジアダス』などの作品を残したルイス・デ・カモンイスは、特に国民的な詩人であるとされている。その他のこの時期の作家としては『東洋遍歴記』(1614)のフェルナン・メンデス・ピントが挙げられる。

17世紀、18世紀のポルトガル文学は不調だったが、19世紀初頭にポルトガルに導入されたロマン主義は、『破滅の恋』(1862)などで泥沼の恋愛関係を描いたカミーロ・カステロ・ブランコによって完成された。19世紀半ばからは写実主義ジュリオ・ディニスエッサ・デ・ケイロステオフィロ・ブラガなどの小説家が活躍する。20世紀には大詩人フェルナンド・ペソアらが活躍した。この時期の日本との関わりにおいては、ヴェンセスラウ・デ・モラエスが特に言及される。

現代の著名な作家としては、『修道院回想録』(1982)や『白の闇』(1995)で知られ、1997年にノーベル文学賞を受賞した作家のジョゼ・サラマーゴや、ポルトガル近現代史を主なテーマにするロボ・アントゥーネスなどの名が挙げられる。

カモンイスに因み、1988年にポルトガル、ブラジル両政府共同でポルトガル語圏の優れた作家に対して贈られるカモンイス賞が創設された。

[編集] 映画

詳細は「ポルトガル映画」を参照

ポルトガルに映画が伝えられたのは1896年6月で、リスボンでヨーロッパから持ち込まれた映写機の実演にはじまる。その5ヶ月後にはポルトでアウレリオ・ダ・バス・ドス・レイスが自作映画を上映した。ポルトはポルトガル映画の中心地となり、1931年にはマノエル・デ・オリヴェイラによって「ドウロ川」が制作された。オリヴェイラはネオレアリズモの先駆的作品となった「アニキ・ボボ」(1942)などを撮影したのち西ドイツに渡り、1950年代にポルトガルに帰ってから「画家と町」(1956)などを撮影した。1960年代に入ると、フランスのヌーヴェルヴァーグとイタリアのネオレアリズモに影響を受けてノヴォ・シネマ運動がはじまり、「青い年」のパウロ・ローシャや、ジョアン・セーザル・モンテイロらが活躍した。

現代の映像作家としては「ヴァンダの部屋」のペドロ・コスタの名が挙げられる。

[編集] 世界遺産

ポルトガル国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が12件、自然遺産が1件ある。詳細は、ポルトガルの世界遺産を参照。

[編集] 祝祭日

祝祭日
日付日本語表記現地語表記備考
1月1日元旦Ano Novo 
2月カルナヴァルCarnaval移動祝日
3月~4月聖金曜日Sexta-Feira Santa復活祭前の金曜日
3月~4月復活祭Páscoa移動祝日
4月25日解放記念日Dia da Liberdadeカーネーション革命1974年)記念日
5月1日メーデーDia do Trabalhador 
6月10日ポルトガルの日Dia de Portugalカモンイスの命日
6月聖体の祝日Corpo de Deus移動祝日
復活祭60日後
6月13日聖アントニオの日Dia de Santo Antónioリスボンのみ
6月24日聖ジョアンの日Dia de São Joãoポルト、ブラガのみ
8月15日聖母被昇天Assunção de Nossa Senhora 
10月5日共和国樹立記念日Implantação da República 
11月1日諸聖人の日Todos os Santos 
12月1日独立回復記念日Restauração da Independência1640年スペインとの同君連合を廃絶
12月8日無原罪の聖母Imaculada Conceição 
12月25日クリスマスNatal 

[編集] スポーツ

詳細は「ポルトガルのスポーツ」を参照

サッカーが盛んであり、ポルトガル代表1966年1986年2002年2006年と4度のワールドカップに出場した。1934年に国内の1部リーグスーペル・リーガが創設され、主なプロクラブとしてベンフィカFCポルトスポルティング・リスボンの名が挙げられる。

[編集] 著名な出身者

詳細は「ポルトガル人の一覧」を参照

王族以外のポルトガル出身者・関係者を挙げる。

[編集] 政治家

[編集] 聖職者

[編集] スポーツ関係者

[編集] その他

[編集] 脚註

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ エドゥアルド・ガレアーノ収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』大久保光夫訳 新評論 1986
  3. ^ a b 「ポルトガル:「共産主義だった遠い国」からの脱皮」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月17日付配信
  4. ^ ポルトガル語はアラビア語につぎ、世界第7位の話者人口を擁する。これはブラジルの存在による。同じポルトガル語でもブラジルポルトガル語イベリアポルトガル語では発音や語彙にかなりの差がある。
  5. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/po.html 2009年3月30日閲覧

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光



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