天野之弥
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| 天野 之弥 (あまの ゆきや) | |
|---|---|
| 生誕 | 1947年5月9日(62歳) |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 |
| 職業 | 在ウィーン国際機関日本政府代表部大使 国際原子力機関事務局長 |
天野 之弥(あまの ゆきや、1947年5月9日 - )は、日本の外交官。外務省総合外交政策局軍縮不拡散・科学部部長、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、国際原子力機関(IAEA)理事会議長などを歴任、2009年12月1日、IAEA事務局長に就任した。
神奈川県湯河原町出身[1]。私立栄光学園卒業。東京大学法学部卒業。
目次 |
[編集] IAEA事務局長選挙
2008年9月26日、日本政府からIAEAの次期事務局長選挙に擁立される[2]。この選挙は2009年11月末に退任した[3]のエルバラダイ事務局長の後任を選ぶ選挙で、最終的に日本の天野と南アフリカのアブドゥル・ミンティIAEA担当大使が立候補した[3][4]。
天野は「日本が唯一の被爆国であり、原子力の平和利用してきたこと[5]」や「核兵器不拡散への決意[5]」などを訴え欧米主要国の支持を得ているに対し[3]、ミンティは「南アフリカが核兵器を所有後放棄した唯一の国であること[6]」や「発展途上国への原子力の必要性[5]」を訴えることで発展途上国を中心に支持を得ている[3]。
3月26日、計3回の投票が行われその全てで天野が優勢だったが、両者とも特別理事会35カ国の3分の2以上(23カ国)の信任は得られなかった[7]。後日27日にもう一度投票が行われたが結果は変わらなかった[8][9]。この事態の責任を取るため、外務省の総合外交政策局軍縮不拡散・科学部部長の佐野利男と大臣官房総括審議官の松富重夫が頭を剃り丸坊主となった[10]。
2009年7月2日に行われた第2回目の投票には天野の他に前回も出馬したアブドゥル・ミンティ、経済協力開発機構(OECD)原子力機関のエチャバリ事務局長が立候補した。最終的に前回と同じく天野とミンティが残り、天野は23票、ミンティは12票を獲得。続く信任投票でも必要な3分の2以上の23票を獲得し、当選が決まった[11][12]。その後、9月の年次総会で正式承認され、12月に就任した。任期は4年。
[編集] 略歴
- 1972年3月 - 東京大学法学部卒業
- 1972年4月 - 外務省入省
- 1993年2月 - 国際連合局科学課長
- 1993年8月 - 総合外交政策局科学原子力課長
- 1994年7月 - 軍縮会議日本政府代表部参事官
- 1997年6月 - マルセイユ総領事
- 1999年8月 - 官房審議官(軍備管理・科学担当)
- 2001年2月 - ハーバード大学ウェザーヘッドセンター客員研究員
- 2002年8月 - 総合外交政策局軍備管理・科学審議官(大使)[13]
- 2004年8月 - 総合外交政策局軍縮不拡散・科学部長(大使)
- 2005年8月 - 在ウィーン国際機関日本政府代表部大使[14]
- 2005年10月 - 国際原子力機関(IAEA)理事会議長選出
- 議長在任中にIAEAがノーベル平和賞を受賞
- 2008年9月 - 日本政府により、次期IAEA事務局長候補に擁立される
- 2009年7月 - IAEA事務局長選出(12月就任)
[編集] 出典
- ^ “天野之弥氏の略歴”. 時事通信. (2009年3月26日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “日本が天野氏擁立表明 IAEA事務局長選”. 産経新聞. (2008年9月26日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ a b c d “天野氏ら2候補が確定 IAEA事務局長選”. 共同通信. (2009年1月3日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “IAEA次期事務局長、日本・南アフリカなど意欲”. AFP. (2008年9月21日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ a b c “IAEA:次期事務局長選、一騎打ち 唯一の被爆国、懸命アピール”. 毎日新聞. (2009年3月22日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “IAEA:26、27日に事務局長選”. 毎日新聞. (2009年3月6日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “IAEA事務局長選、持ち越しに 天野氏に苦境”. 共同通信. (2009年3月26日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “天野氏ら2人とも落選 IAEA事務局長選”. 共同通信. (2009年3月27日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “IAEA事務局長選、持ち越しに 天野氏当選厳しく?”. 産経新聞. (2009年3月27日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ 「世界この先」取材班「21世紀型危機――複眼思考への試練」『日本経済新聞』44283号、14版、日本経済新聞社、2009年5月4日、1面。
- ^ “IAEA事務局長に天野氏 「核の番人」のトップに”. 47NEWS (47NEWS). (2009-07-02) 2009-07-02 閲覧。
- ^ “IAEA事務局長に天野之弥氏…被爆国・日本から初選出”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009-07-02) 2009-07-02 閲覧。
- ^ “イラン核問題で特使検討 政府、油田確保に環境整備”. 共同通信. (2003年7月7日) 2009年3月28日 閲覧。
- ^ “日本が議長国に IAEA理事会”. 共同通信. (2005年9月17日) 2009年3月28日 閲覧。
[編集] 外部リンク
- 天野之弥ウィーン代表部大使の国際原子力機関(IAEA)次期事務局長への擁立について - 外務省
- 略歴 天野之弥(pdf) - 外務省
| 先代: モハメド・エルバラダイ | IAEA事務局長 第5代:2009年- | 次代: - |
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