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荏原郡

1/11

出典: フリー百科事典『)』

荏原郡所在図

令制国一覧 > 東海道 > 武蔵国 > 荏原郡

日本 > 東京府 > 荏原郡1936年まで)

荏原郡(えばらぐん、えはらのこおり)は武蔵国、のち東京府にかつて存在したである。境界変更で神奈川県橘樹郡(現在の川崎市)へ転属になった地域もあったが、郡域のほとんどは概ね現在の東京都城南地区に相当する。

目次

[編集] 地理

東は東京湾(江戸湾)に面し、南には多摩川(玉川)が流れる。

[編集] 歴史

読みについては、かつてはえはらと呼ばれていたが、室町時代頃からえばらと呼ばれるようになったようであり、「荏原」の他に「江原」、「縁原」、「永原」と表記した例がある。

郡衙の所在地については定説がなく、池上本門寺台地の裾を通る古東海道以前の最も古い東海道と考えられている大井駅-(現東急大井町線荏原町駅付近)-(現東急池上線長原駅付近)-洗足池-小高駅(川崎市中原区小田中付近とも)-橘樹郡郡衙(高津区影向寺付近)の道筋にある、大井町線荏原町駅近くの旗ヶ丘八幡(中延八幡)、法蓮寺付近が候補地のひとつと考えられている。しかし、発掘調査によるそれを裏付ける資料は出土していない。

古くは、豊嶋郡と荏原郡の境は平川(神田川日本橋川の旧称)といわれ直接東京湾まで至っていた。 和名類聚抄によれば武蔵国21郡の中の一つとしての荏原郡には蒲田・田本・満田・荏原・覚志(かがし)・御田(みた)・木田・桜田・駅家(えきか)の9郷があり、現代区名で目黒大田品川のほぼ全体と世田谷千代田の大部分をあわせた範囲に及んだ。 しかし、江戸幕府が置かれたため、江戸御府内は武蔵国として認識されず、市域外が荏原郡と認識され、武蔵国22郡の中のひとつとなった。この時代の豊嶋郡と荏原郡の境は古川といわれている。

[編集] 古代~中世

  • 7世紀後半 この時期に製作されたと考えられている「无射志国荏原評」(むざしのくにのえばらこおり)の銘がある平瓦(女瓦)が、川崎市高津区影向寺から出土している。
  • 8世紀後半 万葉集20巻、防人の歌に対する付記が、文献における初見とされている。
    • 集歌4415「志良多麻乎 弖尓刀里母之弖 美流乃須母 伊弊奈流伊母乎 麻多美弖毛母也」右一首、主帳荏原郡物部歳徳
    • 集歌4418「和我可度乃 可多夜麻都婆伎 麻己等奈礼 和我弖布礼奈々 都知尓於知母加毛」右一首、荏原郡上丁物部廣足(ひろたり)
  • 797年 続日本紀には武蔵国の郡名として荏原郡の名が見える。
  • 927年 延喜式神名帳に荏原郡の社として薭田神社磐井神社が上げられている。
  • 938年 和名類聚抄によれば、荏原の訓は「江波良」(えはら)とされている。
  • 10世紀後半 延喜式 に、荏原郷の渡来人が大和朝廷に荏胡麻の油を献上したとある。
  • 1830年 新編武蔵風土記稿によれば地名の由来は、奈良時代に荏(荏胡麻)が繁茂していたから、「荏の原」といわれる。このほか、アイヌ語起源説もある。
  • 江戸時代には荏原郡の村々は、六郷(34村)・馬込(13村)・世田谷(30村)・品川(13村)・麻布(5村)の5領に分かれ、合計で95ヶ村があった。

[編集] 近代

慶応から明治にかけて、武蔵知県事管轄、品川県、東京府と体制が混乱するが、明治初頭は三田・上高輪町・下高輪町・北品川宿・南品川宿を含む102ヶ町村だった。

直近の荏原郡は、1878年(明治11年)7月に布告された郡区町村編制法により設立された。この郡区町村編制法の公布によって、従前の数字による大区小区を廃し、東京府には新たに具体的な名をつけた麹町区日本橋区等15区と荏原・南豊島北豊島南足立南葛飾東多摩の6郡が設けられた。この「新」荏原郡は、従前の第7大区の90宿町村をその管轄下におさめ、郡役所は目黒川にかかる要津橋(ようじんばし)北岸、今の品川区北品川3丁目10番付近に置かれていた。 下記沿革は東京市制施行後の詳細である。

そして荏原郡は1932年10月1日東京市に編入されて消滅した。

[編集] 郡域の変遷(市町村制以降)

明治22年以前明治22年4月1日明治22年 - 明治45年大正1年 - 大正15年昭和1年 - 昭和19年昭和20年 - 昭和39年昭和40年 - 昭和64年平成1年 - 現在現在
品川町品川町品川町昭和7年10月1日
東京市に編入
品川区
昭和18年7月1日
東京都品川区
昭和22年3月15日
東京都品川区
昭和22年5月3日
特別区制
品川区品川区品川区
大井村明治41年8月1日
町制
大井町
大崎村明治41年8月1日
町制
大崎町
平塚村平塚村大正15年4月1日
町制
昭和2年7月1日
改称
荏原町
昭和7年10月1日
東京市に編入
荏原区
昭和18年7月1日
東京都荏原区
目黒村目黒村大正11年12月1日
町制
目黒町昭和7年10月1日
東京市に編入
目黒区
昭和18年7月1日
東京都目黒区
昭和22年5月3日
特別区制
目黒区目黒区目黒区
碑衾村碑衾村碑衾村昭和2年4月1日
町制
大森村明治30年7月20日
町制
大森町大森町昭和7年10月1日
東京市に編入
大森区
昭和18年7月1日
東京都大森区
昭和22年3月15日
東京都大田区
昭和22年5月3日
特別区制
大田区大田区大田区
入新井村入新井村大正8年8月1日
町制
入新井町
池上村池上村大正15年8月1日
町制
池上町
馬込村馬込村馬込村昭和3年1月1日
町制
調布村調布村調布村昭和3年4月1日
町制改称
東調布町
羽田村明治40年10月8日
町制
羽田町羽田町昭和7年10月1日
東京市に編入
蒲田区
昭和18年7月1日
東京都蒲田区
蒲田村蒲田村大正11年10月10日
町制
蒲田町
矢口村矢口村矢口村昭和3年2月11日
町制
六郷村六郷村六郷村昭和3年4月1日
町制
世田ヶ谷村世田ヶ谷村大正12年4月1日
町制
昭和7年10月1日
東京市に編入
世田谷区
昭和18年7月1日
東京都世田谷区
昭和22年5月3日
特別区制
世田谷区世田谷区世田谷区
駒沢村駒沢村大正14年10月1日
町制
玉川村玉川村玉川村
松沢村松沢村松沢村

[編集] 川崎市に編入された地域

多摩川をはさんだ橘樹郡との境界は度々変動することがあった。明治になり廃藩置県後も多摩川の左岸と右岸に神奈川県との境界線が蛇行していて多数飛地が存在したが、その後、飛地の部分だけ堤防が途切れていることがあり、両府県はそれぞれ片岸を一体的に水防を行うべきとの理由から「東京府神奈川県境界変更に関する法律」は1912年(明治45年)4月1日に施行され、府県境は多摩川の流路に変更され、荏原郡の内多摩川以南は神奈川県橘樹郡下の各町村に編入された。野毛、等々力、丸子等、今も両都県にある地名は、この時の府県界変更によるものである。この橘樹郡下各町村はいずれも川崎市に編入された。したがって旧荏原郡域には神奈川県川崎市の一部も含まれる。

  • 玉川村瀬田高津区瀬田)
  • 玉川村下野毛(高津区下野毛)
  • 玉川村等々力中原区等々力)
  • 調布村下沼部(中原区下沼部)
  • 調布村嶺(中原区中丸子の河川敷)
  • 矢口村古市場(幸区古市場・東古市場)
  • 矢口村原(幸区古市場の河川敷)
  • 六郷村古川(幸区小向の河川敷)
  • 六郷村雑色(川崎区港町・鈴木町)
  • 六郷村八幡塚(川崎区鈴木町)
  • 羽田村羽田(川崎区殿町の河川敷)
  • 羽田村羽田猟師(川崎区殿町の河川敷)
  • 羽田村鈴木新田(川崎区殿町の河川敷)

[編集] 範囲

荏原郡のあった概ねの範囲を現在の行政区画で記す。

[編集] 江戸から明治頃まで

[編集] 東京市編入直前

[編集] 隣接郡


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