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査読依頼は、ほぼ完成した項目について、内容の正確性や構成の適切さなどについて批評と査読を依頼する場です。ここで受けた批評を項目に反映させてより良いものにしていきましょう。

キャッシュを破棄する

目次

[編集] 査読依頼をする前に

ウィキペディアにおける査読依頼は、自分がある程度完成させた記事について、他者の意見を求めたいときに使用します。必ずしも専門家の意見がつくとは限りませんので、掲載期間が終了しても記事の質が保証されたわけではありません。

もし記事に問題点があると明確にわかっている場合は、査読依頼より先に、以下の各依頼へお願いします。

[編集] 依頼の要件

  1. 依頼者は、当該記事の主たる執筆者、もしくはそれに準じる役割を果たした利用者であること。
  2. 依頼者は、指摘を受け適宜編集する態勢を整えていること。

上記を満たしていないと判断された場合、依頼は取り下げられることがあります。また、査読依頼にはそれを取り仕切るような人はいませんので、依頼を放置しないようにお願いします。途中で依頼の要件を満たせなくなった場合は、一旦掲載を終了してください。

[編集] 関連ページ

[編集] 利用の仕方

依頼の要件を満たしていれば、誰でも利用できます。依頼にはサブページを使用します。下にある「依頼を追加する」のリンクをクリックし、最下部に以下の記述を加えてください。

{{Wikipedia:査読依頼/○○○_yyyymmdd}}

○○○は項目名、yyyymmddは年月日です。例えば、査読してほしい項目が「コンピュータ」の場合は、 {{Wikipedia:査読依頼/コンピュータ_20060401}} のようにします。

すると、

{{Wikipedia:査読依頼/コンピュータ_20060401}}

と赤リンクが表示されるので、このリンクをクリックしてください。

リンクを開くと、ページ作成の画面になります。そこに以下のように依頼の中身を記述します(中身を記述することにより、他の依頼と同じ書式がこのページに表示されます)。

=== [[○○○]] - [[ノート:○○○|ノート]] ===(何か適当な依頼文)~~~~

中身は上記のように見出しを作成し、当該項目へリンクしてください。何か依頼者からのコメントがあった方が回答もしやすいと思うので依頼文を記入してください。また署名もお忘れなく。(見出しの部分は === {{subst:Article|○○○}} === で代用できます。)

査読依頼者は掲載期間を忘れないように、以下のようにTemplate:査読依頼者を会話ページ、もしくは利用者ページ冒頭に貼りつけてください。

{{Template:査読依頼者 | 査読依頼サブページ名 = Wikipedia:査読依頼/コンピュータ_20060401 | 査読掲載終了年月日 = 2007年5月10日 (木) 12:30 (UTC)}}

詳しい貼り付方法は、Template:査読依頼者に記されています。

新規の依頼を追加した場合・依頼が終了した場合は、/リストを編集してくださいWikipedia:コミュニティ・ポータルに表示されます)。

査読する側は読んでみて気軽にコメントしてください。コメントは当該のサブページにお願いします。掲載期間は原則2ヶ月です。

[編集] ルール

以下は査読依頼のルールです。原則であり、厳守すべきものではありません。ひとつの基準としてお使いください。

  1. 査読期間は原則2ヶ月とする。
  2. コメントが寄せられ議論が続いているものは、最後の発言から10日間、終了を猶予する。
  3. コメントを受けて当該記事に有意な編集があった場合も、最後の編集から10日間、終了を猶予する。
  4. コメントが寄せられているにも関わらず有意な編集のない依頼は、依頼開始後1ヶ月の早期終了を宣言できる。

[編集] ヒント

査読依頼をよりうまく活用するためのノウハウを例示します。

  • 現在査読を依頼中の記事であることを示すテンプレート{{査読依頼}}があります。これを依頼した記事のノートの冒頭に貼ることで、査読してくれる人が集まるかもしれません。
  • /リストに書いた内容はWikipedia:コミュニティ・ポータルに表示され、他の人の目に触れる機会が増えます。新規に依頼したときには忘れずに編集しましょう。
  • 査読のプロセスをスムーズにすすめるために、Template:査読欄を活用してみて下さい。依頼時に
=== [[○○○]] - [[ノート:○○○|ノート]] ===(何か適当な依頼文)~~~~{{subst:査読欄}}
とすると、テンプレートの部分が
【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など
と展開されます。使用するときには、substを付けることを忘れないようにしましょう。
  • 過去の複数の例から見るかぎり、査読依頼がもっともうまく機能するのは、
  1. ある程度以上の完成度がある記事で、
  2. 査読や批評の結果を反映できるアクティブな執筆者がいる場合です。
  3. Wikipedia:ウィキポータルの各分野で掲示するのもよいかもしれません。

[編集] 掲載期間終了時の手順

  1. 掲載期間が終了したら、依頼者は査読依頼中の記事から項目を削除し、Wikipedia:査読依頼/掲載が終了した依頼に査読のサブページへのリンクを加えてください。記事のノートには、Template:査読依頼された記事もしくは査読のサブページへのリンクをつけておくとよいでしょう。後から議論を読み返しやすくなり、その後に編集する人や再び査読依頼する人の参考になるかもしれません。
  2. 記事に{{査読依頼}}または{{査読依頼S}}を貼り付けた場合は、これも忘れずにはがしてください。
  3. /リストからも、項目を削除してください。

[編集] 査読依頼中の記事

依頼を追加する

[編集] キャヴェンディッシュの実験 - ノート

万有引力定数 G の高精度計測に寄与した科学史的に有名な実験の概要であり、en:Cavendish experimentからの翻訳版です。翻訳初版ですので下手に手を入れず可能な限り正確な意訳を心がけています。宜しくお願い致します。--Kurosuke 2009年8月31日 (月) 21:40 (UTC)

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
物理学に関しては門外漢なので、物理学の専門書に対して的外れのコメントだったら申し訳ないですが、本文と本文に書かれてある数式を元に、書いてある内容の理解に努めました。キャヴェンディッシュの実験ですが、本文によると、キャヴェンディッシュ自身はあくまで「地球の密度を測定した」だけであり、万有引力定数G地球の質量の決定は、1873年(彼の研究から75年後らしいですが)のようです。2009年8月31日 (月) 22:10版の記事の冒頭、
キャヴェンディッシュの実験とは、イギリスの科学者であるヘンリー・キャヴェンディッシュによって1797年から1798年にかけて行われた、実験室内の質量間に働く万有引力の測定、さらに万有引力定数と地球の質量の最初の高精度測定のための実験である。しかし、万有引力定数と地球の質量はキャヴェンディッシュによって報告された地球の密度に基づいて後年に導出されたものである。」
の記載はもう少し、書き換える必要があるのかなと思います。特に、「……実験である。しかし、万有引力定数と……」の文章にある「しかし」の一語が何を言っているのか素人にはよくわからず、本文と数式をにらめっこして何を言っているのかが分かりました。例えば、以下のように書き換えるとどうでしょうか?
キャヴェンディッシュの実験とは、イギリスの科学者であるヘンリー・キャヴェンディッシュが1797年から1798年にかけて行った地球の密度を計測した実験のことである。その後、彼の実験結果を踏まえ、1873年に万有引力定数G地球の質量が導出された。3つの実験結果を合わせてキャヴェンディッシュの実験と呼ぶ。彼の実験方法の原理は……」
みたいな形で書くと、前後のつながりがすっきりする気がしますがどうでしょうか。--Wushi 2009年9月1日 (火) 13:45 (UTC)
英語版原文を読みながら頭の中で混沌としていて、それが訳文の解りにくさとなっていたところを鋭く指摘して頂きました。記事は修正済みです。ありがとうございました。--Kurosuke 2009年9月1日 (火) 17:20 (UTC)
【その他】 ──表記・文体など。

[編集] 雲取越え - ノート

熊野那智大社熊野本宮大社を結ぶ山越えの参詣道です。専門知識(関連分野・周辺分野含む)をお持ちの方だけでなく、あまりなじみの無い方、雲取越えを知らない(あるいは当記事を読むまで知らなかった)方から も、正確性、分かりやすさ、面白さ、疑問点、「こんなことが知りたい」という点など、気づいた限りのご指摘を頂ければ幸いです。--ikedat76 2009年9月6日 (日) 14:48 (UTC)

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
各種文献を読み込んで対照した力作であることは一目でわかりますので、普通の書評と違って褒め言葉は抜きに気になった点ばかり書かせていただきます。
  • 冒頭地図、汎用(?)のため、図のどこが雲取越えに当たるのか見てわかりにくい。しかも「中辺路」の説明に対し地図違ってませんか? 1.2「雲取越えから本宮・中辺路を通って」もそうです。冒頭地図を見ると新宮の速玉大社から那智を通ってずっと「中辺路」には違いないだろうしなぁと思ってしまうわけで。
  • 1章、藤原定家「熊野道之間愚記」文中、「遇わず」は「わ」で間違いないですか。その他の章の文献も、仮名は原文通りですか、現代仮名遣いに直した所がありますか。
  • 1.1「正式の法会や祭礼には参加し得なかったことに見られるように」と唐突に言われても、「上のどこかに書いてあったっけ?」と戸惑う。この節全体的に文章が硬くこなれていない印象。私が歴史用語に疎い(これはマジです)せいかもしれませんが。
  • 「大峯奥駈行」は大峯奥駈道へのリンク張らなくていいですか。あとこれは「ぎょう」、修行なのですかね? 単に「大峯奥駈道を歩く行事」っていうだけなのか、修行か何かなのか、少なくとも1.4には一言説明がほしいです。
  • 1.2「小口」についての説明は1.3に至って出てきますが1.2では位置関係がよくわかりません。(後述)とあると親切。
  • 1.4、史跡の答申から指定まで随分年月が経っていますが、何か事情はあるのでしょうか。
  • 「峯」字は「峰」字ではいけないのでしょうか。「大峯奥駈行」はもしかしたら固有名詞として定着しているのかもしれませんが、「順峯」「逆峯」「峯入り」はそういう文字遣いの習慣があるのか単に文献に従っただけなのか。2章では「蹟」は常用漢字外です。あと平仮名に開いていますが漢字に直してもよさそうなものが散見されます(くだり、ゆるく等)。「小雲取越えにとりつく」は「たどりつく」? 「旧い」は「古い」でよいのでは。
  • 2章「雲取越えの峠」は全体として何を説明しようとした章なのでしょうか。行程を詳述したものとしても少々詳しすぎ、熊野古道を辿ってみようガイドになりかねないものに見えます。それは百科事典からは逸脱していると感じます。1章「歴史」に対して「現状」を示そうというならわかります。
  • 今日の万歳峠が「『紀伊続風土記』の記述と位置が符合していない」というのがよくわかりませんが、『紀伊続風土記』、前後・中略部分は読んでいませんが、素直に読めば、旧道(本道)は那智〜志古〜番西峠〜請川〜本宮であって新道は那智〜小雲取の道〜(〜請川?〜)本宮ということを言いたいように見えるのですが辻田氏らはそうは見ていないということですか。
--КОЛЯ 会話 2009年9月14日 (月) 19:25 (UTC)
コメントありがとうございます。すぐに答えられるものとそうでないものと両方あります。すぐに答えられないものについては熟慮の上で回答したいと思います。ただ、リアルワールドで忙しくなる見込みがあり、時間のかかるもの・労力の要るものについては、すぐに対応できないかもしれません。その点は、どうかご了承いただきたく。
  1. 史料からの引用 - 「原文通り」が何を意味するかによりますが、史料引用はすべて出典として示した文献の表記にしたがったものです。『熊野之道間愚記』の出典として使用した文献は、校註者による読み下し文(オリジナルはカナ交じりの漢文)が掲載されたものですのでそれに従っています。なお、多くの熊野参詣道や熊野信仰に関する書籍(専門書含む)でも、『熊野之道間愚記』は読み下し文で引用されるのが通例です。
  2. 大峯奥駈行 - [[大峯奥駈道|大峯奥駈行]]とします。「大峯奥駈行」はご推察の通り、修験道の行です。ただし、説明はこの記事では不要と考えています。まず大前提として、前近代において修験道の霊場たる山岳に修行者でもない俗人が立ち入ることなどありえず、山岳に足を踏み入れる者は直ちに修行を目的とする(山伏等の)修行者に他なりません。例外はありますが、原則はそうです。こうした事は、この記事で説明するのは適切ではなく、修験道なり山岳信仰なりに関するどこか適切な記事で述べるべきことと考えます。そもそもの点として、聖護院に限らず寺院の行う行事が「単なる行事」である、というのはいかなる事態を想定されているのか、質問の趣意をちょっと図りかねました。
  3. 史跡指定 - 何故なのか承知していません。答申から指定まで時間がかかっているのは熊野参詣道全体に対して言えることなので、もし本格的に述べるのであれば熊野古道もしくは、文化財指定に関するどこかの記事(指定基準とか、指定の過程とか、指定の傾向とか…)が適切でしょう。
  4. 「雲取越えの峠」
    1. フォーマットの観点から。文化庁選定の歴史の道は全部で100ほどある(数はちょっとうろ覚えです)のですが、その一つ一つに対して調査報告書が編纂されています。記事の構成を考えるにあたり、参考にしましたが、行程の記述は必ずあり、地形・遺跡・民俗・伝承等かなり詳細な記述がなされています。記事の作成に当たっては、歴史の道調査報告書よりやや粗い程度のレベルを目標にしました。したがって、観光ガイド的だという指摘は当たらないと考えます。
    2. ただし上の文言は、和歌山県教育委員会の調査報告書(1979年刊行)に、現時点の記事と同程度もしくはより詳しい記述がある、という意味ではありません。和歌山県教育委員会の調査報告書の調査・編纂・刊行が行われた時点では、雲取越え#現代の節に書いた様に、ルートが確定できておらず、記述も薄いものしかありません。上で言っているのは、どの程度まで詳しく書くかというレベル感を決める上で参考にしたという趣旨です。
    3. 対象それ自体の性格から。第1に、雲取越えの道を通行した記録の多くが著されたのは近世のことで、このころには参詣道・巡礼道といいつつも、庶民たちは行楽としての性格が勝った旅をしていました。そのため、彼らを当て込んだ茶屋・宿が多数設けられ、それらの遺構が数多くあります。また、参詣記・地誌等にもそれらに関する記述が多数あります。第2に、(特に)大雲取越えに関して言えば、記事中にも書いたとおり800メートル前後の峠を上り下りする起伏のある道であるため、地形に関する記述の分量は多くならざるを得ない部分があります。こうした対象の性格のため、多少なりとも丁寧に書こうとすると、やや煩雑になるのは避けられません。
    4. とはいえ、煩雑さ・冗長さが皆無とまでは確かに言えません。熊野古道関連記事の小辺路と比較してみると、日程では半分な上に自然誌に関する記述もないのに、小辺路の7割近いバイト数があるというのはバランス的に問題があるのかもしれません。見直しは進めてみますが、どの程度まで圧縮できるかはお約束できません。また、時間がかかることをご了承いただきたく思います。
  5. 表記等
    1. 「順峯」「逆峯」「峯入り」の「峯」はすべて聖地としての大峯山を指します。また、大峯山についても、専門書ではおおむね「峯」の字で表記するよう傾向にあるに見受けられます。したがって、いずれも「峯」とするべきと考えます。
    2. 「蹟」「旧い」。直します。
    3. 「小雲取越えにとりつく」は「たどりつく」?。誤記でも脱字でもありません。山道にアプローチすることを「とりつく(取り付く)」と言います。
    4. 平仮名・漢字。漢字に出来るものを平仮名にしているのは意図的なものです。漢字かな比率と視覚的な見易さを考えたものです。
  6. 「西国三十三所と雲取越え」の節。何を書くか/書かないかが精選できていない部分があるかもしれません。その辺りの整理をする必要が確かにある節ですが、これもちょっとお時間を頂きたく。
以上、すぐにお答えできる点のみ回答しました。残りは追って回答します。よろしくお願いいたします。--ikedat76 2009年9月15日 (火) 16:47 (UTC)
ご回答ありがとうございます。
  1. 出典通りの表記とのこと、了解いたしました。
  2. 「大峯奥駈行」の質問の趣旨といたしましては、背景知識がないものですからすぐには「おおみねおくがけぎょう」と読めなかったわけです。少し上の方に「熊野古道を歩く会」なんてのもあるので、そういう類のものなのか、「ぎょう」なのか、背景知識のない者にとっては文脈が辿りにくかったということです。
  3. 史跡指定の件、了解です。
  4. 2章記述の方針のご主旨は了解いたしましたが、そんなに詳細でなくてもいいかな、とは感じます。
  5. 「峯」について、専門書で使う傾向にあるとのことでしたら了解しました。「取り付く」了解しました。平仮名は、個人的には文章全体で統一が取れていない感を抱き、その意味で読みにくく感じます。
--КОЛЯ 会話 2009年9月15日 (火) 20:59 (UTC)
お返事遅れて申し訳ありません。
  1. 地図と説明が不整合である件。地図のほうがおかしいです。手抜きをするなというご指摘のとおりですので、何とかできないか模索してみます。
  2. 万歳峠の件。
    1. 小雲取越えについて、近世に定着し今日まで知られているルートと、近世より前の時代のルート(西行や定家が通行したであろう)が違っているという説は定着しています。辻田らもその点については問題にしていません。
    2. 『紀伊続風土記』によれば、近世より前の時代のルートは「万歳峠」を通ったとあります。辻田らが問題にしているのは、近世より前の時代のルートが通っていた「万歳峠」が、今日の(例えば国土地理院1/25000地図などに「万歳峠」と記された)「万歳峠」と符合しないという点です。
    3. その根拠として『紀伊続風土記』の、道中に「遊行上人の名号の石碑二所にあり」という記述があります。この「名号の石碑」と推定される石碑が今日でも残っていますが、その石碑を見るためには、今日の「万歳峠」道を外れなければなりません。
以上、残りのご指摘への回答です。よろしくお願いいたします。--ikedat76 2009年9月19日 (土) 04:18 (UTC)
地図の件了解いたしました。正しい地図の作成(?)を期待しております。万歳峠の件は、結局、1小雲取越え、2現在の万歳峠、3標高463メートルのピーク、の3つのルートが存在し、辻田等の研究では『紀伊続風土記』の記述を3のルートに比定したということですね。さて本文の「『紀伊続風土記』の記述と位置が符合していないばかりか、」という記述は『紀伊続風土記』の本文から素直に出てくるものでしょうか。「石碑」の位置が示されていないと、すっと理解することが難しく、未だ引っかかっております。--КОЛЯ 会話 2009年9月19日 (土) 16:45 (UTC)
「『紀伊続風土記』の記述と位置が符合していない」というのは辻田氏が書いていることで、勝手に書いたことでは無いのですが…ということでは無いのでしょうか? 一応書いてみます。違ったらごめんなさい。西国三十三所の改稿、いかがでしょうか?--ikedat76 2009年9月19日 (土) 16:52 (UTC)
西国三十三所、だいぶ理解しやすくなったと思います。万歳峠のくだりは、内容の真偽よりも文章展開上の理解しやすさのことです。さっきここに書いたときにはまだ改稿されていないバージョンを読んでいたのですが、17:02版でよくわかるものになりました。色々注文つけてしまいましたがご対応ありがとうございます。--КОЛЯ 会話 2009年9月19日 (土) 17:19 (UTC)
【感想】 ──専門外の方による感想。
「西国三十三所と雲取越え」の節について。ikedat76様も「何を書くか/書かないか」迷っていらっしゃるようですが、沿革については西国三十三所に加筆する形で譲り、本記事では簡略に記すのみとされてはどうでしょうか?--胡亂堂 2009年9月16日 (水) 10:46 (UTC)
コメントありがとうございます。КОЛЯさんのコメントと重なるところがあるので、こちらでお答えします。一応書くべき筋道は、
  • 雲取越えは西国三十三所のルートとして生き延びた。
  • 西国三十三所のルートの定着に大きな役割を果たしたのは那智山の勧進聖の活動である。勧進聖は、寺社の造営に要する費用を、庶民の奉加と散銭から集めるために活動した。
  • 江戸時代に神仏分離・寺社統制の一環として、勧進聖の活動が抑圧された。
  • しかし、庶民の奉加と散銭は寺社の造営に欠かせないものになっていた。そのため、寺社の側は、寺院を三十三所の霊場として喧伝し、西国三十三所巡礼に人々をいざなった。
  • そのため、雲取越えは近世にあって、ますます多くの人によって通行された。
というところでしょうか。この筋道で書き直し中です。--ikedat76 2009年9月19日 (土) 07:11 (UTC)
ご回答ありがとうございます。上の2~4番目をどこまで残し、どこまで「西国三十三所」へ譲渡するかですよね。書き直し後を期待しております。--胡亂堂 2009年9月19日 (土) 10:54 (UTC)
改稿しました。--ikedat76 2009年9月19日 (土) 14:41 (UTC)
拝読致しました。その上で改めて気付いた点があるのですが、長くなりますのでノートにて。--胡亂堂 2009年9月21日 (月) 07:26 (UTC)
(インデント戻す)同じくノートにてお答えしました。やや(だいぶ)長文になってしまいましたが一読願います。また、類似の誤読を防ぐ意味で記事にも若干ですが手を入れました。--ikedat76 2009年9月21日 (月) 16:51 (UTC)

概要の第1段落で「熊野参詣道」とあり、第2段落冒頭で「熊野古道」とあり混乱した。第1段落でリンクをたどると、そこは「熊野古道」のページである。そうなら、はじめから「熊野参詣道(現在では熊野古道ともいう)」と書いておいてくださるとありがたい。また、第2段落で、「熊野本宮大社に達した後」とあるが、「xxxから発して」と出発点が書かれているとよい。 --Sibazyun 2009年10月7日 (水) 08:18 (UTC)

コメントの記入位置を訂正いたしました。
コメントありがとうございます。「熊野古道」と「熊野参詣道」は、文脈によって同じものとして扱える場合と扱えない場合がありますが、ご指摘の部分については「熊野古道」でも問題ないため、「熊野古道」と改めました。なお、「熊野参詣道(現在では熊野古道ともいう)」というような関係ではありません。熊野参詣道の名は国指定史跡名および世界遺産登録資産名として現役で使われている名です。
中辺路(紀伊路)の出発点については、紀伊路を見ていただけばよろしいと考えています。中辺路(紀伊路)の出発点と終端がどこなのかという問題は多少面倒な面があるため、記事の主題と直接には関係の無いところで煩雑な記述をすることは避けるべきと考えました。
以上、回答といたします。--ikedat76 2009年10月11日 (日) 02:10 (UTC)
【その他】 ──表記・文体など
表現方法、文体に関して
  1. 脚注での出典と注釈は読者にとって利用目的が異なるため分離した方が良いと思います。
  2. 元号表記の不一致。1903年(明治36年)、明治5年(1872年)、2004年など。Wikipedia:表記ガイドでは旧暦であっても和暦のカッコ内併記が例として挙げられています。
  3. 雲取越えの峠節で地図としてそれぞれ画像表示されていますが、縮尺が日本では違いがわかり辛いです。日本地理上のおおまかな場所を明記したいという意図であれば当該地図は冒頭に表示し、現在冒頭にある詳細地図で大雲取越え、小雲取越えを強調したものを当該節の画像とすべきではないでしょうか。
以上、気になった三点を指摘させて頂きます。--R.Lucy 2009年9月16日 (水) 00:36 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。遅くなりましたが、回答いたします。
  1. 「脚注での出典と注釈〔略〕分離した」方式(以下、「出典注釈分離方式」)が最近流行の様ですが、採用するつもりはありません。この記事だけのことではないので、ノートにて回答を差し上げます。
# 表記ガイドは承知しています。また、編集上のチェック漏れでもありません。いくつかの点から、西暦以外の暦が通用していた時代や社会に関する記事を書く場合、機械的に従うことは問題が生じるように思われます。
    1. 大まかな言い方になりますが、旧暦とグレゴリオ暦は、年月日が1対1で対応しません。多くの文献で西暦と元号の対照(併記)はされているので、年は問題ないでしょう。しかし、何月何日まで言及する場合はどうでしょうか。まず確実な換算の手段がありません。また、換算の手段があったとしても、年月日入りの史料を引用する場合はどうするのでしょうか。太陰暦日付と太陽暦日付をその都度いちいち併記すればよいのかも知れませんが、そうすることにメリットがあるとは理解できません。読み手にとって不必要に煩雑な情報を提示することになるように思います。
    2. こうした問題があるため、太陰暦と太陽暦の不整合が(日本で)解消する明治5年を境に、西暦メインの表記と元号メインの表記を意図した上で混在させています。個人的な感覚を交えて書くと、歴史学を専攻したことの無い人(私自身を含みます)にとっては元号で書かれるよりも西暦で年が書かれているほうが、感覚的に親切であるように思います。不整合の問題さえなければ、西暦メインで一貫させることができるでしょう。
  1. 「日本地理上のおおまかな場所を明記したいという意図」ではありません。使用した{{mapplot}}というテンプレートは、引数として与えられた経度緯度のプロットと、Google Mapおよびウォッちず(国土地理院地図閲覧サービス)へのリンクを生成します。プロットと地図へのリンクを提供することが付加の意図です。
以上です。--ikedat76 2009年9月19日 (土) 04:18 (UTC)一部打消し線--ikedat76 2009年9月21日 (月) 17:37 (UTC)
いったんお答えをしたのですが、質問の趣意が2様に取れることに気がつきました。
2点目の年号表記の不統一は
  1. 「元号(西暦)」表記自体がそもそもまかりならない
  2. 「元号(西暦)」か「西暦(元号)」か、どちらかに統一するべき
と2通りに解釈できるように思います。どちらの趣旨なのでしょうか。なお、前回の答えにいったん打ち消し線をいれました。--ikedat76 2009年9月21日 (月) 17:37 (UTC)
例えば、大和屋一行の行程に出てくる2月9日は旧暦で、長塚の行程に出てくる8月11日は新暦ということですよね?表記ガイドに元号をメインにすることで該当部分の表記を旧暦と解釈するといった解説が無いため、与えられた情報のみからの推察は難しく、記事を読んだ際に違和感を感じます。自分としては統一していただいた方が読みやすいです。
月日は変換せずとも、特筆性のある月日なら、2月9日と旧暦にリンクさせて表記するなど、表現の工夫で意図した情報を伝えることは可能なようにも思います。雲取越えにある全ての月日に特筆性があるかどうか、私は判断しかねますが、必要の無い月日の情報を書かないというのも選択肢のひとつとしてはアリかと。
どうするかは悩ましいですが、私からの指摘の意図は2(表記ガイドに基づく表記の統一)になります。ちなみに引用の場合は引用体裁を取ってそのまま書けば良いかと思いますので、本指摘に絡む部分は無視して頂いて構いません。
地図の件含め、意図は了解しました。こちらでの回答を忘れていました。ご説明ありがとうございました。--R.Lucy 2009年9月21日 (月) 18:36 (UTC)typo--R.Lucy 2009年9月21日 (月) 18:41 (UTC)
「特筆性」というのは記事を作るか否かにかかわる特性なのですが、という点はさておき
日本では1872年(明治5年)で旧暦が廃され、翌1873年から新暦に移行します。したがって、それ以前の人々は議論の余地なく旧暦で日付を記していました。本文中で参詣記の記載にもとづいて記された日付が旧暦であることは、史料の引用とか参照という観点からすれば当然のことです(逆にわざわざ新暦に換算する必要もないし、換算してある場合に限り特記するべきでしょう)。新暦・旧暦をことさら記す必要はやはり無いと考えます。--ikedat76 2009年10月11日 (日) 02:31 (UTC)

[編集] 藤子・F・不二雄大全集 - ノート

「現在進行のサブカル記事」という事で何かと槍玉に挙がり易い分野ではありますが、逆に現在進行形だからこそ、後から資料収集が困難となりやすいサブカルであっても資料の収集が比較的容易であり、出典のしっかりとした記事が作成出来るのではないかと考え執筆を試みてみました。ほとんどが手探りでの執筆となったため、より良い記事とするために皆様からの御意見を頂きたいと考え依頼を提出させて頂きました。幅広い御意見を頂けますと幸いです。--マクガイア 2009年9月14日 (月) 12:44 (UTC)

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
現在進行形ということもあるので、実績が確定したら、データを更新するのだろうということは置いといて気になったところ。
1. 『オバケのQ太郎』、『ジャングル黒べえ』の復刊ですが、それぞれの記事の該当個所を読めば、なぜ、20年近い時を経て復刊になったのかは分かりますが、この当該記事にはありませんので、「?」という気を読者は持つのではないでしょうか?せめて、簡略化した内容を書くか、双方の記事の該当箇所に内部リンクで誘導するといった作業をしてくれると読者には親切かと思います。あと話題となったならば、それに関する文献を持ってくるべきでしょう。
2. 概要の節の文章「藤子Fの全集としてはこれ以前にも藤子不二雄Ⓐとのコンビである藤子不二雄の全集として出版された〈藤子不二雄ランド(FFランド)〉(1984年 - 1991年)があったが、藤子Fの生前に刊行されていた事もあり未掲載作品や未掲載話があり、また既に絶版となっている。」の文ですが、〈藤子不二雄ランド(FFランド)〉が文全体の主語になっているのは分りますが、こなれていないような気がします。〈藤子不二雄ランド(FFランド)〉には藤子Fの未掲載作品などは載っていないはずですよね(文脈から考えるに)。こんな感じでどうでしょうか?ちなみに、〈藤子不二雄ランド(FFランド)〉は書籍名ならば、『』綴じだと思います。
藤子Fの全集として、藤子不二雄Ⓐのコンビである藤子不二雄の全集として『藤子不二雄ランド(FFランド)』(1984年 - 1991年発行;2009年現在絶版)があったが、藤子Fの生前に刊行されたこともあり、これには藤子F作の未掲載作品や未掲載話が含まれていない。
3. 脚注に、「"ドラえもん 第1巻" (不明). 2009-09-06 閲覧。」…と書いてありますが、不明は何を意味しているのでしょうか?発行年がわからないということでしょうか?リンク先を見てもコピーライトといっしょに更新した年が書いていないので不明となってしまうのでしょうが(多分)。不明はいるのかな?と思います。
絶対可憐チルドレン』で議論したマクガイアさんならばの丁寧な仕事ができるだろうなという期待を込めてのコメントです。--Wushi 2009年9月14日 (月) 13:57 (UTC)
早速の御意見ありがとうございます。以下ご指摘に対する返答となります。
1. 20年出版停止にあった事についてはリンク先を見て頂ければと考えていましたが、確かにもう少し解説があった方が良いかもしれませんね。取りあえずとしてリンクを追加致しましたが、少し資料をあたった上で改めて推敲してみたいと思います。 話題になった事についての文献は作品名の後ろに付けた脚注がそれぞれ対応していたのですが、文末にまとめた方が分かり易かったですね。出典の位置を修正させて頂きました。
2. 書名という事であれば『ドラえもん』等の各作品タイトルがあたり、〈FFランド〉についてはシリーズ名またはレーベル名に該当する情報であることから、書誌情報として
  • 藤子不二雄『ドラえもん』中央公論社、xxxx年xx月〈FFランド〉
と記載するのに倣い、〈〉で括っております。文面については参考とさせて頂き修正させて頂きました。
3. (不明) は{{Cite web}}の更新日時部分の情報です。私としましては「更新日時が分からない」という情報は、(特にWebでは)それで一つ出典に対する重要な情報であると考えて「不明」と記載していたのですが、ない方が良いでしょうかね?
ご指摘につきましては、私の意図を説明させて頂いた部分を除き、記事の方へ反映させて頂いております。出版停止については、資料の確認後に改めて報告させて頂きます。--マクガイア 2009年9月15日 (火) 13:21 (UTC)
【その他】 ──表記・文体など

[編集] 浅間山古墳 (栄町) - ノート

浅間山古墳はかなり地味ですが最近注目を集めている古墳で、このところ学会誌などで取り上げられるようになりました。出土品の検出も多く、かなり充実した内容を盛り込める古墳なのですが、特異な発掘結果が出ていることもあって、私なりに概略の形は整えてみたのですが、読みやすさやわかりやすさという面で不安があります。より良い記事にするため査読依頼に提出させていただき、皆さんのご意見を伺いたいと思いました。よろしくお願いします。のりまき 2009年10月9日 (金) 13:02 (UTC)

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など

[編集] 市川雷蔵 (8代目) - ノート

1950-1960年代に活躍した映画俳優・歌舞伎役者の記事です。複数の文献を参考に加筆しました。Wikipedia:秀逸な記事の選考にかけられる水準にあるかどうか、査読をお願いいたします。 2009年10月14日 (水) 11:16 (UTC)

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
大幅な改稿お疲れ様です。非常に読み易い文章で、楽しく拝見させて頂きました。
  1. 構成に関して。エピソードの節は来歴と人物像へ振り分けて、新規に「評価」という項目を追加して市川雷蔵という俳優に関する評価をまとめて欲しいです。また、市川雷蔵単体としての評価の他、例えば同時代を活躍した勝新太郎との比較評などを取り入れることはできないでしょうか。入手が難しいかもしれませんが、田中徳三らのインタビューがあるキネマ旬報の1992年6月下旬号などが参考になるかもしれません。
  2. 作品一覧の節を他の秀逸項目、例えば桂正和のような表形式にすることは可能でしょうか。併せて監督名があると非常に有意です。好みの問題なので、労力に見合うメリットが無いと判断された場合は不要です。
  3. 受賞歴の見直し。[1]だと、1957年にゴールデンハーベスト賞という賞を受賞しているようです。書籍によって受賞内容がまばらであれば検証できるよう出典があると親切かもしれません。
以上3点、ざっと読んだだけですが、感じたことを箇条書きにて。Wikipedia:秀逸な記事の選考にかけても問題ない充実した水準だと思います。--R.Lucy 2009年10月14日 (水) 15:05 (UTC)
早速コメントを頂き、ありがとうございます。
  1. 勝新太郎との比較評は参考文献に挙げた本にも多く載っていたはずです。関係者のインタビューなどからあえて雷蔵について語っている部分だけを抜き出して書いたのですが、比較評にしたほうがエピソードが充実するかもしれません。もう一度文献にあたってみることにします。
  2. 作品一覧を桂正和のような形式で充実させることはおそらく可能です。出演作品について詳しいデータが載った文献があったはずなので近々調べてみることにします。
  3. 受賞歴は、本によって網羅度に差があったような…もう一度調べ直して、出典付きで書くことにします。-- 2009年10月15日 (木) 11:14 (UTC)
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など


[編集] 終了した依頼

掲載期間が終了した依頼はWikipedia:査読依頼/掲載が終了した依頼に移動してください。

また、各記事のノートに

{{Template:査読依頼された記事 | 依頼日 = yyyymmdd | よみがな = あいうえお}}

とすることで、査読依頼サブページへのリンクをおくことができます。記事のよみがなも忘れずに入力してください。(詳細)。


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